淀川ヒューテック株式会社

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メディア掲載情報

2010年07月01日

「(社)大阪府経営合理化協会 機関誌(No.490)」に掲載されました。

夢は「ここで働けば、自分が成長できるぞ企業」ランキングNo.1
聞き手:(社)大阪府経営合理化協会 専務理事 森川嘉夫

森川 社長は大阪大学工学部の大学院をご卒業され、アメリカのカーネギーメロン大学のMBAも取得されているんですね。

小川 頭でっかちなんです(笑)。

森川 入社されたのが2001年、副社長などを経て2年前に社長に就任された二代目さんですが、ビッグ企業を承継される決意のようなものはおありだったのですか。

小川 最初からこの会社を継ぐという意思を持っていたわけではありません。阪大の研究室で学び、そのままドクターに進んで、研究者になろうかなと考えていました。物事を論理的に考えることが好きだったものですから。でも、アメリカに留学したいという気持ちが強くて、ビジネススクールに。技術一辺倒ではなく、技術とビジネスの橋渡しをするような仕事も面白いかなと思ったんです。初めての海外生活でしたから、大きなチャレンジではありました。私は理工系で簿記や会計のことは日本語でもわからない。それを英語で勉強するわけですから、大変でした(笑)。

森川 得がたい経験をなさったわけですね。

小川 そうですね。体系的にビジネスを勉強できたこと、そしてそれが自分の自信につながり、今の大きなバックボーンになっています。もし、アメリカに行ってなかったら、そもそも「淀川」を継ごうという気持ちになっていなかったと思います。卒業後、就職活動をして、東海岸にあるアメリカのメーカーに就職しました。当社とはまったく関係がない会社で、そこの日本の平塚にあるオフィスで2年間働いていたんです。私にこの経験がなかったら、「淀川」のことがすべて当たり前で、客観的にみることができなかった。その点は非常によかったと思います。

森川 この2年間、とくに去年などは日本の経済はガタガタでした。大変な時期に社長に就任されたわけですね。

小川 そうなんです。いきなり、リーマンショックがきて、本当に厳しい状況でした。ちょうど1年前は社員が工場に来ても仕事がなく、国から助成金をもらって、ワークシェアをしていました。幸いにして、その後、景気が戻ってきたからよかったのですが。

森川 就任早々から荒波だった・・・。

小川 当社だけの荒波だったら「お前、何をしているんや」といわれたでしょうが、世の中全体でしたので。考えてみれば、それがよかったのかもしれません。会社が順調だったら、私の出番なんかなかったはずです。でも、悪い状況だったから、危機感が共有でき、ある程度の求心力というかリーダーシップを発揮できたのかも。私の父、現会長は創業者で、実績も揺るぎないものがあり、人がついてくるカリスマですが、私は違いますから、これまで以上に説明責任があると思っているんです。きちんと話して、わかってもらわないと。実は、会長はそういうことにも長けていて、繰り返し繰り返し、根気よく話していました。私は、せめて自分が言うことがブレないように、毎月1回、朝礼で話した原稿はすべてとってあります。

森川 中期経営計画を遂行されて、発展してこられたと伺っています。

小川 実は、私は以前勤めた会社でマーケティング、つまり営業の事業戦略を考えるのが仕事でした。そのマーケティングの概念を「淀川」に入れたいと思ったんです。私が入社したのは9年前で、そのころにはいろいろな事業を手がけるようになっていたのですが、それらの情報が各営業マンの頭の中にしかなく、きちんと整備がされていなかった。それで、いろいろな情報を一度まとめて、会社として進むべき方向をみんなで共有したいと考え、マーケティングを軸に中期経営計画をつくりました。入社した翌年からスタートし、その年に3ヵ年計画をつくり、その後、2ヵ年計画を何回か実施して、今年4月に向こう2ヵ年の計画を立てました。

森川 そのポイントは?

小川 今回の中期経営計画のテーマは社員の成長と事業の成長としており、今期は特に社員の成長に力を入れたいと思っています。「自分で考え、行動できる社員を育てる」ことを大目標として、階層別の人材育成を進めています。特に、幹部候補には、次世代を担う当事者意識をもってもらうことが大きな目標です。もちろんそれぞれ、独自の考えがあっていいのですが、基本的な物の考え方、共通言語は、共に身につけておきたいのです。社内の勉強会では、私自身が講師になって話すことがあります。少しずつですが、浸透してきました。社長の仕事の一つはみんなの頑張りを引き出すこと。もう一つは、みんなの頑張りのベクトルを合わせること。これが計画をつくる、戦略をつくるということで、それを目に見える形にして実行しています。 

森川 リチウムイオン電池、太陽電池など、非常に新しい、これからの花形事業の分野にどんどん手を広げておられますか? 

小川 当社の売り上げの7~8割りぐらいが半導体、液晶市場の設備投資関係ですが、今後はこれまでのような伸びは期待できません。それで、これからの新しい市場である環境・エネルギー市場に注目して、その一つがリチウムイオン電池であり太陽電池です。当社では従来から携帯電話用リチウムイオン電池のフッ素樹脂部品を製造・販売してきたのですが、今は電気自動車やハイブリッド自動車に使われる車両用リチウムイオン電池の部品を開発しているところです。

森川 海外展開は? 

小川 強みとしている液晶をはじめ、すでに当社の売上の大半は海外向けです、とくに中国本土での液晶ビジネスをいかにゲットするかが今期、最大のミッションです。

森川 最後に、社長としてなさりたいこと、夢、抱負を。

小川 やはり「淀川で働いてよかったな」と思ってもらえるような会社にしたいですね。私は会社の成長は社員の成長の総和だとおもっています。淀川での仕事を通じて社員全員が成長してもらいたい。「ここで働けば、自分をが成長できるぞランキングNo.1」の会社にしたいと思っているんですよ(笑)。

森川 社員の方も燃えられますね!本日はありがとうございました。

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