私の原点 淀川ヒューテック社長 小川勉さん
同社はフッ素樹脂からプラスチック、液晶関連など多角化。
売上高320億円。従業員450人。71歳。
―脱サラで創業だとか。
立命館大法学部を卒業して入ったのが電子部品・材料の専門商社。その大阪支店で営業を担当していた1964年、仕入れたフッ素樹脂を卸す先の加工メーカーが倒産しましてね。
―29歳の時ですね。
はい。私は典型的な文系人間。ただ、米国デュポン社が開発したフッ素樹脂が耐熱性、耐食性、耐薬品性に優れた化成品であることは7年間の仕事で理解していました。ならば、と商社を円満退社し、倒産会社の技術者ら7人で「淀川化成」を創業したのです。社名は大阪市内の淀川そばでの起業にちなみます(02年、現社名に変更)。
―法律を学んだ文系から、最先端技術への挑戦ですね。
蛍石をベースとするデュポンやダイキン工業(川上工程)からの原料仕入。成形・焼成加工する我々の川中工程、それを使うバルブ・ポンプメーカーなどの川下工程。猛勉強です。可能性に満ちたフッ素樹脂に出会わなかったら多分脱サラしていない。元手320万円の過半は父からの借り入れだったし……。5年後、社員30人に増えてようやく軌道に乗りました。
―苦労なさったことは?
73年の石油危機です。需要が減り、しかも外部からの介入による労働争議が起きて、会社解散もやむなしかというところまで追い込まれました。相談に出向き、親身になって対策を考えてくれた関西経営者協会さんとのご縁はそれから。社員の福利厚生に本気になったのも、危機を乗り越えてからですね。
―例えば?
週休2日制が74年。中小企業では早い方でした。83年には社内禁煙運動を始め、禁煙したら5万円、さらに月3000円の「非煙手当」を出す試みをしばらく続けました。今は定年(60歳)をなくすのが目標です。長く、気持ちよく働いてもらうのが一番ですからね。
―社外での活動は?
自宅も本社も大阪府吹田市というご縁で、昨春から市教育委員長を。ただ、毎月の定例委、市議会、土日の関連行事出席などで意外に忙しい。今の学校教育には関心を持っていますので、張り合いはありますが。
―大阪から東京に本社を移す企業が増えています。
当社はフッ素樹脂加工に始まって、半導体・液晶関連装置へと展開しています。近年グローバル化が進み、既に売上の40%が海外ビジネス。今後も吹田をベースとし、マーケットを世界に広げていく計画です。